東京熊本県人会は、昭和28年10月に設立されました。
戦後の新生日本の息吹と戦後の復興の中で、東京都下の熊本県人有志が元台東区長小島武人氏を中心に集まり、昭和28年10月下谷公会堂で約400人が参加して会長空席のまま発会式が行われました。その後、初代会長に元厚生大臣黒川武雄氏が就任され、名誉会長に細川家当主の細川護立氏が就任され、着々と会員も増加し、その活動も活発化しました。
昭和44年には元東京ガス会長本田弘敏氏が2代目会長に就任され、会務を引き継がれましたが、副会長以下の役員は、そのままで、初代会長時代の流れがそのまま温存された形での会務運営となりました。
昭和56年10月、本田会長が会長職のまま、逝去され、浦田事務局長も病気入院中であったという特殊事情もあり、県人会は、事実上一時休眠状態になりました。
その後かかる事態を心配された元東京熊本県人会最高顧問三善信一氏(故人)、副会長大塚惟謙氏、元監事加納健一氏、前事務局長吉田雄三氏ほか、県出身の有力者の方々が、県人会の再建に奔走された結果、昭和57年11月3代目会長に元帝国ホテル社長金澤辰次郎氏が就任されると同時に、理事長にも大塚惟謙氏が就任され、まったく新たな体制での東京熊本県人会が活動を開始しました。再建後の新構想は、基本的には従来の県人会を継承しつつも在京県人の各組織、各高校同窓会、同郷会、郡人会等の協力を得て、これらの諸団体を基盤とした緩やかな連帯組織とし(ただし、組織自体はあくまで個人参加の組織であり、各種団体の連合組織ではありません)、熊本県、県下の市町村などの関係機関との緊密な協力体制に力を入れることになりました。
平成3年10月、金澤会長が老齢を理由に辞任されることになったため、元東京電力副社長で電源開発総裁であった門田正三氏が4代目会長に就任され、活性化研究会が発足したり、青年部(ヒゴモンズ)が発足するなど更なる発展を遂げました。
平成12年5月、門田会長の逝去に伴い、政治評論家の内田健三氏が理事会で推挙されて、5代目会長に就任され、現在に至っています。
東京熊本県人会50周年記念誌より抜粋
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